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2023

02/20

芸術監督日記

2023年2月18日(土)門脇大樹&望月恭子デュオリサイタル〜憂を帯びたフランスの響き〜

雪の積もった翌週で、開催が心配された門脇さんとの銘楽堂公演でしたが、無事コンサートを開催することができました。

今回は全てフランスの作曲家の作品というところを徹底してプログラムを構成しましたが、その軸になったところはドビュッシーのチェロソナタです。

後期の作品で、最初聴いた時にその隠しきれない闇のようなものに惹き付けられました。

「月と仲違いしたピエロ」という副題が付くはずであったというエピソードにも強烈に惹かれました。

ドビュッシーの時代に活躍していた詩人たちはピエロを「憂鬱なおどけ者」として、好んで詩の題材にしていた風習があり、「月」というと「ピエロ」、「ピエロ」というと「月」という、ある種の象徴作用が暗黙の了解で働いていたそうです。

また「憂鬱」と「おどけ者」という全く相反する性質を同時に持ち合わせた「ピエロ」という存在が、詩人たちにとってイロニックな憂いを表現するにのに最適な題材だったのでしょう。

晩年ドビュッシーは自分の作品にタイトルをつけることを控える傾向があり、この副題も聴き手にイメージを押し付けるのを嫌って取り消されたのだと推測できますが、その副題が示すところ突き詰めていくと大変興味深い境地に辿り着きました。

このソナタを作曲した頃、世界は第一次世界大戦という戦争下にありました。ドビュッシーにはまだ幼く愛らしい娘がいましたが、そんな大切な娘が生きていく世界が戦争まみれになっていくことに、非常に心を痛めていたそうです。

これを知った時に、全く個人的な「月と仲違いしたピエロ」の解釈ですが、「月」は「幸せが続いていくはずであった世界」で「ピエロ」は「愚かな人間たち」なのではと感じました。そのほかにも「月」と「ピエロ」の仲違いについて推測できることがあります。

このチェロソナタの表紙に、ドビュッシーは自分の名前を「フランスの音楽家 クロード・ドビュッシー」と記しています。「ソナタ」というのはそもそもフランスの敵国ドイツで確立されていったソナタ形式を伴う楽曲形態の作品を指しますが、このドビュッシーのチェロソナタは全くソナタ形式を伴っていません。ドイツの従来のソナタではなく、「フランス人であるこの自分がソナタを書いた」と、あえて作品の表紙で強調することで、ドイツもしくはドイツ音楽との「仲違い」を主張したのではないかと言えるのではないでしょうか。

また死を予感させるニ短調で作品が描かれていることも、作品と戦争との関係性を裏付けるのに着目すべき点かと思います。

1楽章はピエロのエレジー(哀歌)、2楽章は月夜に笑う死神のセレナーデ、3楽章は戦争に抗う決意と覚悟

そんな解釈を門脇さんと共有しながらリハーサルを重ねました。

また、「月とピエロ」という2つの言葉を見た瞬間、ドビュッシーのピアノ曲「月の光」と「仮面」が思い浮かびました。

ヴェルレーヌの「妖艶なる宴」という詩集に「月の光」と「パントマイム」という詩が並んで収録されています。

ドビュッシーはこの詩のインスピレーションからピアノ曲「月の光」と「仮面」を作曲しました。

詩では「自らの勝利や成功を短調の調べで歌っているが、心の底では自分の幸せなど信じられない。そんな感情が月の光に溶けていく。」「笑った仮面の下では哀しい涙が溢れている。」という悲しく切ない心情が詠まれています。

それが、あんなにも美しい音楽に乗っているのですから、ただの「月の光の情景」、ただの「ピエロを描いた曲」として聴くのは惜しいですよね。

なので、どうしてもこのピアノのソロ曲を並べてお客様とその詩の心情を共有した後に、チェロソナタを演奏したい。

そこが今回のコンサートのプログラムの始まりでした。

門脇さんのご理解とご協力がなければ実現できなかったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

素晴らしいチェロでリードして頂き、感無量でした。

ヴェネツィアで購入した仮面と

伝えたいことがありすぎてマイクを握りっぱなしで、お客様も前半のフランス音楽の小品たちから、まさかドビュッシーのあそこまでの世界に連れて行かれるとは思っていらっしゃらなかったと思いますが、解説をこだわった甲斐あって、作品の世界を十分にご堪能いただけたようで嬉しかったです。

門脇さん、そしてお越しくださった皆様に心より感謝申し上げます!